1999.7

イタリア

 

計画

結婚してまだ一年が経っていませんが、有給で嫁さんと前から行きたったイタリアに行ってきました(このホームページにも公開されている”ヨーロッパ編”では、治安が良くないことを理由に、二人が拒否した為、代わりに安全なスペイン・バルセロナに行ったのです。)。今回も嫁さんが同伴なので、旅行会社でフリープランのツアーを申し込みにいきます。(宿泊ホテル、移動手段のみ押さえてあります。)

(イメージ写真は提供して頂いた物ですので、無断でのご使用は遠慮下さい。)

 

ベネチア

アムステルダムからベネチアの空港に深夜到着し、なんといきなりベニスらしくでのお出迎えです。”ヨーロッパ編”での某日本人旅行者の話、事前情報、嫁さんの身のことをある程度考えないといけないことから、やや緊張気味でしたが、気持ちが解れました(後にイタリアの印象というか、海外の印象が変わりますが)。ホテルに着くとシャワーから温水が出ません、早速ヨーロッパ経験者の腕の見せ所、フロントへ用件を伝えるとすぐに問題解決です。これで嫁さんに面目を保てました。

翌日は街の観光です。天気はどんよりでしたが、水の都ベニス非常に雰囲気いいです。ただ、やや他の都市に比べ観光メインですから、人が多く、全てにおいて料金が高いです。街に来るといつも裏通り、市場などを見るのが好きなので今回もわざと裏通りを歩きます(だいたいの街で、昼間は大丈夫ですが、場所によっては危ないので、行かれる方は注意してください。今回も後で記してありますが、一度だけ危ない目に遭いました。)。ここでは舟のみが移動手段ですので、ヴァポレット(水上バス)の一日券を買って移動することがお勧めですし、自分のようにあえて街を歩くことも良いと思いますよ。

お勧めスポットはサン・マルコ広場の鐘楼です、エレベータで登った展望台からの景色は抜群です。特に海の中に小さな街が浮かんでいるように見えるのは、なんともいえない不思議な光景です。翌日フレンツェに向けて出発しますが、今回のツアーはホテルから公共交通機関までの間は、ガイドが時間に迎えに来て電車を教えてくれます。駅や電車ぐらいすぐ判るだろうと思いつつも、おとなしく付いていきます。(電車の貧乏旅行経験者には簡単。結局ガイドが要らないと思うところはシカトしました。)

「写真提供:michan (c) All rights reserved.」

 

フィレンツェ

午後には今回のベース基地フィレンツェに到着し、ガイドを探すのが面倒だったので、ホテルまで街を下見しながら歩きます(多分ガイドが要れば車での移動ですが、貧乏旅行の癖が抜けません。)。嫁さんやや不機嫌ですが、貧乏性と街の雰囲気を感じるにはこれが一番です。ホテルも簡単に見つかり夕方の街に出ます。

こちらはサマータイムで夜9時まで明るくて時間を有効に使えますし、とにかく料理が何処で食べてもおいしい、もともとイタ飯が二人とも大好きなので、日本食が恋しくなることは皆無でした。ここのお勧めポイントは朝夕のヴェッキオ橋ボーボーリ庭園の上にあるべルヴェデーレ要塞からのフィレンツェの街並みです。もちろん街の中の美術館などもすばらしいですが、芸術感に乏しい自分には街の雰囲気を味わうだけでもOKです。

「写真提供:michan (c) All rights reserved.」

 

ピサ

翌日はピサの斜塔を観光にいきます。電車は駅で難なく見つけることが出来ました(こちらはアナウンスも出発の合図もありませんし、時間にもややルーズですので注意)。さてピサ駅に着きますが、ガイドに書いてあるピサの斜塔行きの、バス停の番号に行くと・・・

どう見ても行き先が違うだろう?

しばらく迷います。

すると、地元の人がわかっているかのように、”あそこで乗りなさい”と親切に教えてくれた。

グラッツェ!

ガイドブックを見て、迷っている日本人を助けてくれました。

イタリアイメージチェンジ〜その1

バスに乗り難なくピサの斜塔を見学します。本当に傾いています。近くで見ると地盤沈下でかなりの補強がされているのが良くわかります。思ったより小さくて、周辺の雰囲気もたいしたことが無く、ややがっかりです。

そして帰りは歩いて帰ることにしますが・・・裏通りで突然、女子供が十数人、訳のわからない事を言って、取り囲んできます。

ヤバイ!

すぐに大事な物が入っているポケットを押さえます(嫁さんにはこんな事があるかもしれないので、貴重品は一切持たせていないのが幸いでした。)。案の定、ポケットに必死に手を突っ込んできます。

頭にきた!

退けこの野郎!と蹴り倒しまくりますが、相手も必死です。嫁さんも反撃!

すると・・・

近くにいたサラリーマン風の男性が、なにやら大声で助けてくれると、散っていきました。

グラッツェ!

困っている日本人を助けてくれました。

イタリアイメージチェンジ〜その2

これもイタリアの現実で、良い勉強になりました。

「写真提供:michan (c) All rights reserved.」

 

サン・ジミニャーノ

翌日は個人的に一番行きたかった、中世情緒あふれるトスカーナの街サン・ジミニャーノです。

ただ全てバスを使わないといけませんので、前日にイタリア語のメモを書いておいて切符を買う準備をしておきます。このなんとも言えない緊張感というか、スリルが海外旅行はたまりません。フィレンツェ駅のすぐ横のターミナルで切符は難なく買うことが出来、バスも見つけて乗車です。ただ・・・

走り出すと今何処にいるのか判りません?

アナウンス無し、途中のバス停に街の名前表示無し。

え・・・?

ポッジポンシで乗換えが必要なので、必ず降りなければと、ガイドブックを見て今どの辺だか、考えていると・・・

雰囲気を察したのか、降りようとしている若いおにいさんが、”どこへ行くの?”と英語で聞いてきてくれました。ガイドブックの地名を指し示すと、”あと30分だよ!”と親切に教えてくれました。

グラッツェ!

ガイドブックを見て、迷っている日本人を助けてくれました。

イタリアイメージチェンジ〜その3

(今回は個人旅行で来ていて、周りに日本人はもちろん、観光客も少ないのが幸いして、自分たちが目立ったのかもしれませんが、こうしてその土地の方に、困っている時に助けてもらったこともあり、改めて考えさせられました。外国の人から見れば、観光地に団体でやって来る日本人はネギを背負った”カモ”なのでしょう。そこにつけこんで、一儲け(悪さ)しようとする人がいるのは、分からんでもないです。偉そうな事は言えませんが、日本人が平和すぎるのだと思います。)

注意していると、必ず街の入口には街の名の看板が立てられていますので、これを見逃さないことだと判りました。問題なく乗り換えの街で降りますが・・・

やっぱり・・・

バス停で、どのバスに乗ればいいの?もう、あちこち見て考えますが、

聞こう!

近くの人にイタリア語で聞きますと、たしか”何台あとのバスだよ”と教えてくれた覚えがあります。それを元に時刻表や路線図らしきものを見ると、なんとなく判ってきて、帰りには自分で判断できるようになりました。無事にサン・ジミニャーノに到着して、帰りのバスの時間も確認しOKです。

ここは美しき塔の街と言われ、そびえ立つ塔が青空に映え、トスカーナの緑に街が映えてすばらしいところです。天気が良かったのもありますが、本当にお勧めですので是非、”自力”で、”バス”で、行ってみて下さい。また、塔に登ってのトスカーナの田舎の風景は絶景です。まあ何処に行っても、天気が良い日に高いところに登って、景色を見れば間違いないです。

「写真提供:michan (c) All rights reserved.」

 

ミラノ

翌日ミラノに移動です。ここは主に帰りの空港へのアプローチと、お土産を買う(偉そうな事言って、思いっきり日本人の習慣じゃん!)のが目的です。ミラノは緑があふれ美しい街です。ごめんなさいその他にあまり印象がありません。

翌朝ガイドが迎えに来てくれて、車で空港まで送ってくれますが・・・これが怖いの何の、普通は車の中では、それなりに会話がありますが、この人は何か急いでいるようで無口、しかも物凄いスピードで走ります。高速なんか200km近くで前の車を煽るので、もう生きている心地がしません、飛行機より怖かったです。マルペンサ空港に着くと急いで荷物を降ろしてくれて、グラッツェ。

瞬く間に消えていきます・・・

「写真提供:michan (c) All rights reserved.」

 

帰路

最後の最後でハプニングです。マルペンサ空港でアムステルダム行きの飛行機がかなり遅れています。アムステルダムで乗り換えて名古屋空港へ行くのですが・・・

オイオイ?

もう名古屋行きが出るまで1時間切っているし、ここからアムステルダムまで2時間掛かるだろ、小学生が計算しても判るのに、スチュワーデスは”ノープロブレム”、1時間あれば間に合うと自信満々???(たしかに、どうやったのか?1時間で飛んだのですが。)

結局出発は、名古屋行きが飛んだ後で、乗り継ぎどうすればいいの?

あとで判ったのですが、この時ヨーロッパの航空網は前代未聞のダイヤの乱れがあり、中でもマルペンサ空港は平均遅れ時間が1時間○分で、ヨーロッパで一番らしいです。

ということで各空港には、遅れに対する専用のカウンターが有るらしく、驚くことに、その対応がすばらしかったです。(なら、どうして普通に離発着出来ないのと思いません?)アムステルダムに到着すると、猛ダッシュでそのカウンターに走ります。

”to Nagoya”

と伝えると”OK”とすぐに2枚のチケットが・・・

ん?

”to Osaka OK?”

”OK!”

関空という事?まあ、こうなれば名古屋も大阪も一緒だと思い、飛行機に乗ります。すると、信じれないことに過去の空路とは違うコース、つまり中近東や北朝鮮の危ない地域のスレスレを通るではありませんか、これがなんと近道で、たしか10時間位で着いたような覚えがありますが、最終的に当初の予定より早く家に着いてしまったのですから。(結局、電車で関空〜大阪駅、新幹線で大阪駅〜岐阜羽島駅までの費用は全て航空会社持ちとなりました。)

 

終わりよければ全て良し?

 

 

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